わたしは関西在住の結婚5年目のAmyという者です。
結婚したのは32歳のときで、現在37歳です。
そして現在第二子を妊娠中で、もうすぐ出産予定です。

私は夫と出会う前に、真剣に結婚を考えていた人がいました。
彼と過ごす時間は非常に楽しく、会えないときでも彼のことを考えるだけで元気になり、毎日がキラキラと輝いていました。
そしてとても私を大切にしてくれ、また私も彼を大切にしていました。
そんな順調な交際であったので、2年目に自然と結婚話が出始めました。

しかし結婚を決意した途端、事態は非常に悪くなっていきました。
彼の両親が結婚に反対したのです。
そしてその両親に強く言えない彼に私は落胆し、別れを決めました。

とても好きな彼だったので、私は大きなダメージを受け、しばらく泣いて暮らしました。
しかしこれではダメだ、私は幸せになるんだ、と自分に喝を入れ、結婚相談所へ登録しました。
<<関西でホンマにおすすめの結婚相談所ってどこなん?※徹底調査>>
関西ではたくさんの結婚相談所がありますが、こちらではオススメのサイトを紹介しているのでぜひ活用してみてくださいね。

結婚相談所で出会った夫は、第一印象は真面目を絵にかいたような人でした。
言葉使いは丁寧でしたが、女性慣れしてないのか、あまり上手く話してくれませんでした。
シンプルに言うと、良い人そうだけど面白みに欠ける、という感じを受けました。
しかし外見は悪くなく、目鼻立ちもスっとしていました。
そして彼は私を非常に気にいってくれ、また会いたいとデートに誘ってくれました。

そんな夫と出会って5ヶ月でスピード結婚を決めました。
夫は真面目で、やはりあまり面白くない人です。
しかし、私と子供のために一生懸命働いてくれています。
夫にするなら真面目な人が一番だと思います。

私は大学時代から、スキーをしていました。
大学は東京の技術系の大学でしたが、地元に戻って公務員になりました。それでも、冬になるとスキーに友人と行っていました。

そのうちに、スキークラブに入り本格的にスキーをしました。スキー検定(バッジテスト)の時に、左膝半月板を損傷し私の住んでいる富士宮市内の富士宮市立病院に入院して手術し、スキーに復活しましたが、多忙のため体を壊して公務員を辞め、自宅の商売の船舶関係卸小売業をしている時に、またスキーに行くことを再開し、苗場のスキーテスト(バッジテスト)の最中に、斜面でコブに飛ばされ転倒し、スキーの板を折るほどの衝撃でしたが、なんとかスキーテストは終わり、帰宅するとまた左膝が痛かったです。

それで、また富士宮市立病院の整形外科の医師に診て貰うと、再度左ひざの半月板が損傷しているとの事でした。
それで、損傷した半月板を手術で直すため、また富士宮市立病院の整形外科さんに再度入院しました。

前回入院したころの医師は、もう前回から10年たったため一新されており、前回入院した医師の一人が、偉くなって監督していました。
そして、その整形外科の2番目、3番目に偉い医師が手術の担当をしてくれました。2番目に偉い先生は、韓国出身の方ですが手術はうまく、3番目に偉い先生は日本人で日本語が特に上手く、保険を書くのが上手い先生でした。

一番偉い先生の監督の元、2番目に偉い先生と、3番目に偉い先生の手術で左ひざの半月板の手術は無事成功し、私は病院のベットに寝ていました。
そして、一日ベッドから動くことが許されず、小便の時は看護師さんが観てくれました。

しばらくたって、やっと車いすに乗る事を許され、私は好きなタバコを吸いに喫煙所まで行き、コーヒー牛乳も飲みました。
そのうちに、松葉杖の許可が下り、私は松葉ずえで喫煙所まで行き、かえって動いた方が治りが早いのか喫煙友達とよく喫煙所に行きました。皆包帯を巻いたり、ボルトをしたりしながらも根性で喫煙所に行きました。医師たちはその行動力にびっくりしていました。

そして、4日日に退院と決まりましたが、看護師さんは転職したてで担当したのが私だったので、私がいなくなることが寂しかったらしく「退院しないで!」「寂しいよ」と言ってくれました。でも、金銭的にも余裕がなかったので、退院しました。その時、その看護師さんは病院の玄関まで荷物持ちをして下さいました。
(ちなみにその看護師さんが転職に利用したサイトがこちらだそうです⇒http://看護師求人富士宮市.com/

入院から通院となり3番目に偉い医師の診察を受けている時、私はお礼にカップ麺の詰め合わせを持って行きました。もちろん、入院病棟にですが。
そして、その医師と色々な話をして仲良くなりました。保険の書類もバッチリと書いて下さいました。そして、仲良くなった看護師さんにもお礼の手紙を書いて渡して
貰いました。半年後に膝はほぼ治り、またスキーに行くことが出来るようになりました。良くして下さって、本当に感謝しています。

うちには7歳のメス猫がいます。

この子は元捨て猫でした。

以前から猫を飼いたいと思っていて、
ペット可のマンションに引っ越しました。

引っ越しがひと段落したある日、
ブログを見ていたら、
猫の里親募集が目に留まりました。

さっそく保護主さんに連絡したら、
その猫を届けてくれることになりました。

生後4カ月くらいの猫ちゃんでした。

模様がとても個性的で
とっても元気な女の子でした。

1日目から家にもすぐ馴染んで、
自分のお気に入りの場所を見つけて
お昼寝もしていました。

トイレもしっかりできて、
爪とぎもちゃんと使ってくれる
とってもお利口な子です。

好奇心旺盛で、新しいものも大好きです。

でもちょっとビビりで、外が怖いみたいです。
捨てられた頃のことが思い出されるのでしょうか。

動物病院に連れて行って帰ってくると
外に出た緊張からか必ず過呼吸みたいに
なってしまって困っています。

そんなこんなで、うちの子も1歳になりました。

4カ月の頃よりはいくらか落ち着きも出てきました。

でもなぜか噛み癖が治らなくて、
私の手や足が傷だらけです。

遊んで欲しいときや、
お腹がすいたとき、眠くなった時に
噛んでくると思われます。

いろいろ試行錯誤していますが、
噛み癖なかなか治りませんね。

あとは、自分の名前がわかるみたいで、
名前を呼ぶと反応してくれるのが
とても可愛いです。

猫を飼ってから、
私の夢がひとつ叶いました。

それは、猫の保護施設で
ボランティアをすることです。

この保護施設には、
2回面談に行きました。

1回目は猫の飼育経験がなくて、
面談では採用されませんでした。

猫を飼ってから再度面談に行ったところ、
猫の飼育経験があるのでボランティアとして
働けることになりました。

今では仕事もボランティアも両立して、
とても充実して楽しい毎日を送れています。

猫を飼ってから、
家族に笑顔が増えました。

動物を飼うことってとても大変なことですが、
大変なことの倍くらい癒しが待っていると思います。

いまのボランティア先では、
たくさんの猫ちゃんたちが新しい家族を
探しています。

みなさんに猫の飼育に興味を持ってもらって、
少しでも多くの猫ちゃんに
新しい家族が決まってくれるといいなと思います。
一応、シニア猫ですので、病気をしないようにキャットフードにも気をつけてます。
7歳以上のシニア猫には専用のキャットフードが必要です。⇒キャットフード7歳以上.com

満点
私は子供の頃算数や数学が大の苦手でした。
小学生の頃一度つまづいてからわからないままでいたため、それからずっと得意になることも好きになることもなかったんです。
中学生になった我が息子も私と同じで文系タイプ。
国語のテストは得意ですが数学はまぁフツー程度でした。

親が算数や数学へのコンプレックスがあるため、いつも息子には「数学でいい点を取ってくれたら嬉しいな!」と言っていました。
もちろんプレッシャーをかけるつもりはなく、冗談まじりに「数学ができたらかっこいいよ!」というようなノリです。
心のどこかで自分ができなかったことを成し遂げてほしいという期待もありましたが、親の理想を背負わせるつもりはありません。
ただ、息子ならもっとできるのにという悔しさもありました。

息子はどこか私の気持ちをわかってくれていたような気がします。
いつももうひと声というような点数の数学のテストを見て「今に見ていろ!」と言っていました。
それは私への対抗心なのか、数学への強い思いなのか、はっきりとはわかりませんでした。
親をぎゃふんと言わせたかっただけなのでしょうか。
しかし、私は都合よく「数学を倒してくれるのね!待ってるよ!」なんて思って聞いていました。

そこで先日のテストです。
中学生になり、ずっと微妙な点数だった数学のテストで息子はついに満点を取ってくれたんです。
そして「やってやったぞ!」と。
かっこよかったですね。
あだ討ち成功といった気分でした。
息子のテストと私の成績は関係ありませんが、親子で戦っていたのだと感じることができた喜びがありました。
また、息子は自分のためだけではなく私のためにも戦ってくれていたんだと感じ、息子の愛を感じました。

親子って不思議だなと思います。
こうやって親の思いを叶えてくれることで絆が深まり、親は自分のことのように喜べるのですから。
私も思わず「ありがとう!」と言ったのですが、その時の息子のしてやったり顔はずっと忘れないと思います。